二都大学生物語

東京と京都に住む二人の低学歴で運営する生産性のないクソブログ。というか俺(大納言)のお絵かき練習場

大学に行く意味は何か

どうも、吐血し続け5日目のからさんです。

 

自分が大学受験の時は大学に行く意味など考えられませんでした。将来の目標が定まっていた訳でもなく、行きたい大学があった訳でもない。ただ周りが大学に行くから自分も行こうと、それだけで勉強していました。

当然、受験勉強に身が入る訳もなく、今では田舎のクソ中堅私立大学ですね。

しかしそんなクソ大に身を置いた今こそ、大学に行く意味について考え直してみようと思います。

 

1.就職

まず、一番に思い浮かぶのが就職です。大学卒業後は多くの方が就職を選ぶと思いますが、当然高卒と比べれば進路の選択肢が遥かに多いです。現在も多くの企業が大卒を条件としている以上、これは揺らぐ事はありません。しかし、それ以上に強いのが「就職予備校」という意味合いです。

 

特に”中堅大学”の層はキャリア教育に特化する傾向があります。要するに「学業の本分を忘れ就職予備校化するクソ大学」です。中堅クソ大学は、学歴ブランドだけでは採用してもらえないので「仕事とは何か」「どんな人材が必要とされているか」を一々教育します。実戦的なものが多く、就職だけでなくその先にも役立ちそうなものばかりです。

本分である勉学をするべきという考え方も十分理解できますが、中堅大に行くようなバカに勉学させたところで時間の無駄というのが正直な感想です。

 

また当然、優秀な大学には優秀なOBが居ます。たとえ学ぶ学問がくだらないものだったとしても、大企業へ就職し高収入を得るための投資として優秀な大学に行く意味は充分あります。これは自分には関係ありませんけどね(半ギレ)

 

2.様々な人の相手を経験しておく

次に思い浮かぶのが対人経験です。高校までと違って、大学には様々な種類の人間が居ます。高校まで野糞常習犯だった人間から名家のお嬢様まで広く存在します。大学全体ならもっと居るでしょう。そのような幅広い人間の相手をする経験は、社会に出ても生きるものです。色々な考えを吸収することは、決してマイナスにはなりません。実際、よほど他人に流される程意志が弱い相手がキチガイでない限り、友達は選ばず作った方が得です。周りを知り相対的にでも自分の立ち位置を知ることができれば、前へ進もうとした時に足を運ぶ向きが分かります。もちろん良い方向に進んでくださいね。

 

 

3.豊富な時間

最後、です。大学生活をただただ送るのは非常に楽です。何もしなければ時間は有り余るほどあります。口の悪いブログを開いてしまう程に。しかし、自由を持て余して4年間何も成さずに過ごすと、後悔することは非常に多い。先輩はそれで嘆き、就活時に神社仏閣を巡り救いを求めていました。高校までと違い、何か行動を自分から起こさない限り何も始まりません。就職活動の際にも「学生時代に頑張ったこと」「大学生活で得た自分の強み」は必ず聞かれます。つまり、大学のうちから語れるエピソードを作っておく必要があります。そういう意味では、就職活動は一年次から始まっているとも言えますね。暇な時間をどう使うか、得た暇な時間を大学に行くメリットにできるかどうかが大切です。でなければ「大学生活はパチンコに打ち込んでいました!」「特技は一気飲みです!」と言うしかなく、最終的に神社仏閣を巡る羽目になります。

 

大学4年間の経験が今後40年の社会奴隷生活を決定づけるものだと肝に銘じて大学生活を送ろうと、そう思います。

この記事を書く中で2回血を吐きました。からさんでした。

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